遊談

−はじめに−

富士山の麓、山中湖の畔の宿、ホトリニテ。
今日もホトリニテでは人と人との素敵な出逢いが生まれています。

2012年9月。
ホトリニテ当主高村直喜くんが主催し、中心となって
『遊談ージュツってなあに?ー』
と題された公開トークセッションが開催されました。

心暖かく、そして熱い語り合いのひとときが生まれていました。

技術や芸術、「ジュツ」をめぐって
様々なジャンルで活躍している出演者なんと総勢15名!による遊談。

物や事を創り出す先に見えてくる、それぞれの「あり方」。
一人一人の語り口を通して見える、蓄積された経験、語りから感じる人柄。

ここでは、遊談の第一部を掲載いたします。
共感し、共鳴する言葉
はっとさせられる言葉
たちがキラリキラリと、海に光る貝殻や宇宙に光る星たちのように輝いています。

これらの言葉の輝きを感じていただけましたら
大きな喜びです。


公開トークセッション【遊談】第一部「ジュツってなあに?」
~技術や芸術、「ジュツ」をめぐって様々なジャンルの方が語り合います。
物や事を創り出す先に見えてくるそれぞれの「あり方」。
各々の「違う」語り口通して見える蓄積された経験。
そして語りから感じる人柄。一日かぎりの、「ことばの遊談」開催です。
※ここでは第一部を掲載いたします。
   
  【遊談を始める前に】
トークセッション遊談、前日(2011年9月3日)は「書と踊り、そして料理と。」というイベントを
渡辺大壑さん(書家) 大倉摩矢子さん(舞踏家) 山口隆之さん(ヴィオラ)、堀内一紀さん(料理人)とで行いました。
記録的な大型台風の一夜に行われたパフォーマンスで終演後には料理人堀内一紀さんの料理を観客の皆様と出演者の皆で堪能。
書、舞踏、演奏、料理、ホトリニテ、台風...そして台風の中ご来場いただいた皆様との出逢いと饗宴。会場はホトリニテ。
youtubeで当時のパフォーマンスを見る事ができます。
☆映像はこちら 映像編集:キマイラスコープ
☆イベントの詳細はこちら


司会
◆高村直喜(宿当主)1979年生まれ/山中湖村在住■

三代続く宿ホトリニテの当主。高校を卒業後、クラブDJになるべく上京。数々のイベントに出演、日本初のターンテーブリストの祭典にも出場。その後、カナダではDKNYファッションショーの音楽監督や様々なミュージシャンとセッション。帰国しカナダで描いた夢を京都石峰寺の伊藤若冲忌で奉納演奏という形で叶えさせてもらった。その時に「出逢う」ということを意識する。それから、音楽でさまざまな空間表現を模索した。
10年間の音楽活動を青森県立美術館「許色」演奏公演を最後に休業。
今は、宿ホトリニテのコンセプトである「出会いの絶景」を目指し、宿という場所を使い日々真剣に「遊んでいる。」
 
◆田辺玄(ミュージシャン)1980年生まれ/甲府市在住■

WATER WATER CAMELを中心に活動中。国立音楽大学音楽デザイン学科でメディアアートを学ぶ。全国各地を飛び回りながら、ライブハウスのみならずカフェやギャラリー、お寺や廃校、植物園やプラネタリウムなど、多様なスペースで活動している。
またギタリストやエンジニアとしての活動や、TVCM、ウェブサイト、展示空間等の音楽制作など、音を媒体にさまざまな人や場とのコラボレーションも展開している。
       
  記録写真
◆川村幼子(写真家)1980年生まれ/山中湖村在住■

小学校から甲府で育つ。大学で芸術学を専攻。在学中に写真に興味を抱き、卒業後写真の専門学校に進学。
その後、東京の出版社にてスタジオとラボの勤務を経て、今年四月、自然の中で人と関わる仕事を求めて故郷山梨に帰る。現在、山中湖在住。
  *在住の後の■は山梨県を意味します。


第一部 出演者
◆渡辺 大壑(書家)1962年生まれ/富士吉田市在住■

富士吉田市臨済宗妙心寺派吉祥寺住職。1984年東北大学理学部数学科卒業。
専門は「代数多様体上の曲線論」。大学卒業後、埼玉県平林寺専門道場にて糸原圓應老師に参禅し、座禅修行を積む。89年斬暇後、高校にて教鞭を執るかたわら、書真会渡辺寒鷗師に入門し、書、刻字を学ぶ。2001年毎日書道展毎日賞。同展会員。書道研究春登会会長。
山梨書道協会常任理事。同年、先住職の没後、住職となる。以後、「直心道場座禅会」を主催し若者の指導に当たる。自然科学をふまえた膳を実践し、書に表現することを目的として日々研鑽している。

◆大倉摩矢子(舞踏家)1977年生まれ/埼玉県在住

学習院大学文学部フランス文学科卒業。
1999年より舞踏家大森政秀(天狼星堂主宰)に師事し、天狼星堂舞踏公演に出演している。
2001年よりソロ活動も始め、劇場の他にも野外、美容室、美術館等でも踊る。
2002年ラボ20#13(横浜STスポット:キュレーター/山崎広太)に出演し、ラボアワードを受賞。 2003年度第35回舞踊批評家協会賞新人賞を受賞。
自分のからだと内面を見つめる舞踏は圧倒的な存在感を持っている。
現在も、天狼星堂のメンバーとして、ソロの舞踏手として舞踏を通じて自らの旅をする。
       
  ◆纐纈 あや(映画監督)1974生まれ/東京都在住
自由学園卒業、東京都在住。2001年ポレポレタイムス社に入社。映画『アレクセイと泉』(本橋成一監督)の製作・配給・宣伝に携わる。
映画『ナミイと唄えば』(同監督)のプロデューサーを経てフリーとなり、『祝の島』が初監督作品。
  ◆宮本重男(和紙職人)1946年生まれ/身延町在住■
私の紙づくりの動機は不純です。もちろん和紙は大好きですが、自分で漉こうとおもった理由は①田舎暮らしがしたい②井上ひさしさんの原稿用紙を作りたい③いせ辰の千代紙の原紙を漉きたい。と家族より私の願望が最優先でした。山梨に住み約30年たちましたが25年前から永六輔さんと知り合い永さんのオリジナルの便箋を提供することとなりました。今は、西湖いやしの里根場にて、紙屋『逆手山房』を営んでいます。


  taiwa04   【主催者から遊談について】 遊談を企画させて頂きました、ホトリニテ 高村です。 この公開トークセッションを通して、お客さんを含めた皆で共有したかったのは 「それぞれの違いや経験」でした。各々、自分の色をもった方々がどう感じ、いままで、 なにを大切にしてきたのかを「ジュツ」を切り口に掘り下げてゆきました。 人と向き合う事は、自分と向き合う事と同じだと思っています。 このような時代だからこそ、「違い」と向き合う大切さをご出演してくださった方から学びました。 少しでも、その場の空気感が伝われば幸いです。
 
高村直喜(以下:直)皆さん今日は雨の中集まって頂きありがとうございます。
ーありがとうございます。
直:今日は、ご出演者が第1部が5様、第2部が9名様なんですけど、
僕がこういう会をやりたいということをアポなしで初めてお会いする方も初めて話しする方とも
僕はこの人に出て頂きたいという想いだけで伝えましたら、二つ返事で引き受けて下さいました。
僕が尊敬する、大阪にある国立民芸博物館の梅棹忠夫さんが晩年に言ってた言葉がありまして、
「乞われれば、一刺し舞える人物なれ」
人に何か乞われたら、何でも簡単に踊れるような人になれ、ということを言ったんです。
なんか、そんな言葉がピッタリな そういう方たちだなっと僕は思いました。
嫌な顔もせず、こんな雨の中を来て下さって本当にすごいと思います。
今日は、よろしくお願いします。
自己紹介なんですが、砂時計をお渡しするので、その砂時計のタイム内に、自己紹介なり、自分の表現をしてください。
taiwa02
この砂時計(※1)が
4分33秒図りますので、いやこれ以上でもいいですよ。
1分くらいでも。好きな話を。
一人ひとりお願いします。
渡辺大壑ご住職(以下:住)渡辺大壑(わたなべだいがく)と言います
書家って書いてありますけど、家はお寺なんです。ちいちゃなお寺なので、うちのおやじが細々と書道教室をやっていました。
それで、小学校3年の時に、私もやらされていたんですけども、
私もやらされていたんですけども、行儀よく座ってるのが、どうにもいや、
何しろ紙を真っ黒く塗ったり、絵を書いたりって言うのはお得意だったんですけど字は書けなかった。ほいで漢字が書けなかった。
小学校3年生の時に筆を折って断筆しております。で、川に流して。
で、母親にこっぴどく、昔の事ですから、ぐーで殴られて、とって来いと言われました。
うちの下にも立派なお寺があるんですけども、そこのところへ行ったら、筆があったから、 
セロテープで直して、だけど2度と書道は強要されなかったんですけども、
ま、色々あって、そこを話すと4分じゃ足らないんで。で、今に至りまして、
 (一同笑)
良くわかったでしょ?
それとあと、お寺の子って言うのがすごく嫌で、なんか、あるんだかないんだかわからない
仏だか、神様のために命をかけるとか、男が一生懸けるもんかみたいな事で、全く逆の方に行ってやろう、
別に数学が好きで、数学科に行ったわけではないけれども、数学が多分宗教の対極にあるだろう、みたいなのがあったんです。
なぜか絡めとられて、うちのおやじが、どんなにいやでも、いずれ、檀家さんのおかげで食べてるんだから、
おれが死んだら帰ってきてくれみたいなこと言われて、そう言われたら修行に行かなきゃなんないなみたいに
で、修行に行ったんです。
仙台に未練があったんですけれども、1年くらいで帰るつもりが、1年じゃ何にもわかんない。ま、2年でも
わかんない。ただ、もう辛いだけ。辛いだけじゃあれだから、ま、1年目はすごくこう、やられるんです。
やっぱグーで殴られるとか、座禅をしてて、朝3時には起きて夜は12時くらいまでずっと座禅や、労働をするような生活。
ほいで、もう、1年目はもう奴隷扱い。
それが嫌で、少し上になるまで我慢しようみたいにしてたら、いつの間にか6年経過しちゃっていまして。
別に悟ったって言うのは何にもないんですけど。
こんなもんかな?ってことがあるうちに富士吉田に帰ってきました。(4分33秒まで)あと少し。
で、うちのお寺へ来ましたけど、何もやることがないので、ま、習字でもやってみるか
そしたら、習字の筆の動きってね、ま、昨日も言ったんですけど
あの、お寺でやってた、こう、え~、これ術のところで話します。
て言うようなことで、ちょっと得意になっちゃいまして、んで、学校の先生やったり、
そうこうしているうちに親父が亡くなって、寺の住職をやって、
夕べもですね、この美しい摩矢子さんと一緒にここで、
皆さん、お見えになった方もいらっしゃいますけど、本当にありがとうございました。
あの、この嵐の中でなんとも言われないパフォーマンスをさせて頂いて、
で、一番向こうにいらっしゃる和紙職人の宮本さんからの挑戦状ということで、
この和紙に、え~、遊談という字です。
遊ぶっていう字は、人が旗を持って諸国を漫遊するの「遊」これに足が強調されるとしんにょうになって、
直:持ち時間終わりました。すみません
住:ありがとうございました~。(一同笑)
大倉摩矢子(以下:摩)引き継がせて頂きます。
というご住職と昨日ここで、なんだっけ、何やったんだっけ私、え~舞踏をやりました。(笑)
昨日の記憶がもうおかしくなってます。
ご住職が書を書いて、私が踊ってっていう、そういうのを昨日させて頂いて、今日2日目ということです。
このほんとにすばらしい雨と風に助けられまして、すごくいい、
こんな自然の演出はありえないじゃないですか、年に何回ありますか、こんなすごい台風は、みたいな。
素晴らしい助けを頂きました、みなさんから。で、なんだ?私の話か。
おおくらまやこと言います。埼玉県在住。1977年生まれで、舞踏を初めて13年~4年くらいになります。
舞踏になじみのない方、たくさんいらっしゃるとおもいます。
白塗りして踊りますが、最初見た時に、大丈夫か、白いよ、あの人って思うと思いますが!!だいじょうぶです。
直:ちなみに、舞踏知ってる人いますか?
見たことある・・見たことあります?じゃあバラバラですね。
摩:説明できないんですよね、でも。口でね。
なのでまあ、でもダンスと舞踊とは似て非なるものだと、私は思っております。
あの、意識について。うん。
お客さん:じゃ、田中泯さんなんかのような舞踏ですか?
摩:あ、そうですね、ミンさん、はい。
私の師匠が大森政秀といいまして、田中泯さんたちと同じ第2世代に当たる方です。
第2世代って言うのは、えっと、まあ、(師匠とミンさんは)同じ世代ってことですね、
田中泯さんは白州で(舞踏を)されているから、ご存知の方、いらっしゃると思いますが。
で、私なんかが、舞踏は戦後、昭和60年くらいから出来たものなので、
私が今34歳なんですけど、だいたい第4世代みたいな感じになっています。
で、そんな感じです。
これ(砂時計を)戻さなきゃ、戻んないけど…
纐纈あや(以下:ア)はなぶさあやと申します。遅れてしまってすみません。
ホトリニテで、いま、2か月に1回ですかね? シアターホトリをやってるのは…
直:3か月に一回
ア:その1番最初の会に、私の監督させて頂いた「祝の島(ほうりのしま)」という
映画をして頂いたんですが、その上映会は、3月の10日から始まり、
私は11日からここに来る予定だったんですけれども、
震災で東京から車で10時間かけてホトリニテに来たんですね。
今日も台風で高速バスが運休になって、
慌てて電車に乗り換えて、そしたら私の不注意で勝沼まで行っちゃって。
ホトリニテに来る時には、何か震災...自然災害続きだなぁと思いながら今日も参りました。
「ほうりのしま」というドキュメンタリー映画は、祝という字を書いてほうりと読むんですけれども、
昨年の4月に完成させまして、
この1年間ずっと単館系の映画館と自主上映会で周っています。
ご存知の方もいらっしゃると思いますけれども、山口県の上関町祝島という、小さな島があるんですね。
その島を舞台にしたドキュメンタリー映画で、祝島は今から29年前、上関町が原発を誘致して以来、
ずっとその上関原発に反対してきている島なんです。
そこにとびっきり元気なじいちゃん、ばあちゃんたちがいまして、
私は、その島の人たちにすっかり魅せられてしまって。で、原発反対の島と 一言でくくられて、
祝島が見られがちだったことが、なんだかとっても悔しくて、というのは、
島の人たちは、原発反対のために生きているわけではなくて千年刻みで、
ずっと島で大切にしてきた文化があって、暮らしがあって、海と山を大切にしてきた。
そこに突然原発問題が起きて、反対せざるを得なくなったという、
その順番を私は大切にしたいなと思って祝島に2年間通って、島の人たちの暮らしというものを撮らせて頂きました。
福島の原発事故が起きてからは、今まで原発の事を全く考えたこともなかったという方たちが、
「あれ?原発っていったい何なんだろう」「今の日本の原発事情ってどうなってるんだろう」という事で
すごく意識を向ける方が多くなって、映画をみたいと言って下さる方が急激に増えまして、
内心とっても複雑な気持ちもありますけれども、
今この時に祝島の方たちの想いとか、その暮らしぶりって言うのを出来るだけ多くの方に観て頂きたいなということで、
上映活動を続けております。
ちなみに、このホトリニテに繋がるきっかけを頂いたのがナノリウム(山梨県富士吉田市にある、ギャラリー/喫茶)
なんですけれども、
ナノリウムの中植きさらちゃんは私の映画製作もずっと手伝ってくれています。
というのは私は本橋成一というドキュメンタリーの写真家で映画監督の元にずっといたんですけれども
そこできさらちゃんも一緒に映画製作をしてくれて、
そのつながりで、今ここに来ております(笑)


直:ありがとうございます。
宮本重男(以下:宮本)といいます。
非常に不安は、年寄りが居ないんだよね。
直:年寄りがいないってことですね?
宮:いない。いや、だからこういう世代にはなかなかチャンスがなかった。
こういう若い人たちの中に入ること自体、自分でもおかしいなと思いつつ、
直:違和感がある?
宮:違和感というより、昔若かりし頃にワイワイ騒いだことを今ふと思い出して、
そういうわけです。
で、紙漉き、あの紙がそうなんですけども、
あれは適当に作った、ああいうのは誰でも適当に作れる。実際はね。
私は、33歳の時に脱サラでこっちに来ました。
神保町にスズラン通りがありますね。スズラン通りに「文房堂」っていう画材店がある。
そこで働いてまして、絵が好きだったんで
絵を描きたいなってずっと思い続けて働いてて、
ある日突然、よし!どうも和紙がなくなるなぁということを(神保町は)古本屋ばっかりですからね。
(本を)いっぱい読んでると、和紙の伝統を引き継ぐ人がいない、
どんどん、どんどんそういう伝統産業の世界ががなくなっている時代だったからね、大好きな和紙がなくなる、これは困るなぁと思って、
絶対俺が生きてる間に、和紙がなくならないように考えた。
全部が辞めても、俺がやってれば1人いる
よし、じゃぁ自分が紙漉きやろう! ということで、
33、ま、2年ぐらい、ずっとやりたい、やりたいってず~っと言い続けてましてね、
で、女房がいまして、3人目の子供ができた時に、やっぱしやるからねって言って会社に辞表を出したんです。
これはもう人間の頭の良さですね。 2人だと離婚する可能性が高いんです。
3人いて、生まれたばっかりのがいたら、これはもう離婚が出来ない。
という考えの基に、辞表を出して。
一番最後に生まれた子供が麻子と言う名前なんです。大麻の麻ですね。和紙の原料が元々は麻から出発してる。
それで33年たちまして、今月65になります。
だから若い人たちと一緒に居ると、
昔県庁の小林さん、元、OBですけど、いわゆる評判の天下りっていっぱいあるじゃないですか。
あの当時に、竹下総理が平成の金くれたでしょ?ふるさと納税。
あれ、各市町村にも行ったんですが、県庁にいっぱい金があるのに、県庁にも1億円くれたんですね。
その金を使ってなんか県内で面白いことやってるやつを集めてようっつうんで、音頭とって
われわれが選ばれて行ったんですけども、そんでそん時に行ったことがその時の予算が500万くらいだったんです。
500万で、その担当の課長、じゃ、500万ここにあるからこれでなんでも全部やってくれって言ったの。
じゃ全部酒飲んでいいかっつったんだ。いいっっつったの。
それで、実際にぶどうの丘で、今は立派になってますけど、まだ建設途中のドームの形は、工事の真っ最中で、
そこを一晩借りて、1升瓶で120本みんなで飲んだんです。雑魚寝してね。
そういう会なんかをやれた。
昔は県庁も良かったんですよ。そういうのがいて、やってもいいよ~って
で、そういうことを、今の若い人たちがたぶんね、やってくれないのが非常に残念だなと思いつつ、
それ以外に何やってるかと言うと ちなみに俳句やってる人いたら、是非句碑を建てて下さい。
うちの、身延町なんですけども、句碑の里っちゅうのをやってましてね、
今全国から、1195騎という碑を建てています。あなたの建てられます。あなたの建てられます。
それは、句碑。
直:それはお金出すんですか?
宮:もちろんそう。碑建てるんだから。
直:で、置けるってこと?
宮:うん、置ける。で、今1195で、多分日本一というか、世界一なんですね。
で、ギネスに申請しましたけど、何の返事もないという寂しいところですね。
直:じゃ、ここで一句。この状況を一句。
宮:よし、この状況を一句・・・ いや。
なぜ句碑をやったかと言うと、我々は仮に俳句をやってると、これはいい、これは悪いと、変な眼で見るでしょ?
ど素人だから、どんな俳句でも受けて、建てることが出来たんです。
地域を変えていくのは、昔から若者だった。若者が地域を変えていかなきゃいけないのに。
今ここで変えようとしてますから。
馬鹿ものになってかないと・・・ということを言って、だから俳句は出来ないと。出来ないからやれるんです。
直:良く分からないですけど(一同笑)
はい、宮本さん、ありがとうございます。 遅くなってしまいましたけど、僕、高村直喜が司会させて頂きます。
あと田辺玄さん。
玄:お願いします。音楽をやっております。
直:じゃ、玄くんも、なんか挨拶を皆さんに。
玄:えーっと、田辺玄といいます。
WATER WATER CAMELというバンドをやっていまして、
そのギターをやって、そのバンドがが中心の活動で
ま、他にもギターでいろんなサポートととか、あと録音のエンジニアもやってまして、
あとCMとかWEBとかの音楽制作を山梨に住みながらやっています。
司会ってことで、何やっていいのかよく分からない。たぶん、みんなそうだと思います。
でも、ちょっと色々お話を聞くのも面白そうなので、よろしくお願いします。
直:じゃ、どうしましょうかね? 宮本さん
僕何も考えてないんですけど。
いま宮本さん言って下さった、今の若い者たちが駄目じゃねぇかって感じ。
駄目というか、なんでダメなのか教えてほしいです。
宮:そちらの話になったの。
あの、若者、実はものすごい優秀なのがいっぱいいるじゃない。
若者、たとえば、優秀なんだけどね、良すぎるんだよ。良い子すぎる。
これは、んー、今いやしの里って言うところで、紙漉きを子供たちに教えてるんだけど、
何か質問するとね、お母さん見て、それから答える。
紙の話した時に、こうだよ、こうだよって言うと、
じゃ、何がある?って言うと、くっとお母さん見て、それから答える。
正解を求めようって、答え一つだと思ってるんで、
正解を言わないと、変なこと言うと恥ずかしいとか、まずいとかっていう、失敗しちゃいけない。
何やる人でもね、みんなものすごい頭いいし、勉強するから、行くとこまで行くんだけど、
遊びがないから、やっぱり崩れちゃう。っていうのは、最近の若い人見てての実感。
もうはちゃめちゃな奴っていないでしょ?
そういうやつがいて、適当な奴がいて、上に優秀なのがいて、それが経済産業省とかいきゃーいいんだよ。
だからもうちょっと全体が悪くなってもいいような気がするんだけどな。それはどうですかね?いいこばっかりでしょ?
ア:”いいこ”っていう言葉が、どういうことを指してるのか。
でもおっしゃってることはわかる気がしますね。正解を求めてるっていうのは確かにそうですね、
最近の若い人に自分が入っているって全然思ってないですけど、
正解は一つと考えがちっていうのはとてもあると思うんです。
ドキュメンタリー映画とか、ジャーナリズムとかに関しても、
何が正しくて、何が正しくないかで見ようとしてる、作ろうとしてる人は、とても多いなって思う。
でも、私はそういうのを見るとつまんないなって思います。
私が大切にしてることは、自分が何を感じるか、ということで。
何を感じるかっていうことには、後付けの理屈じゃなくて、すごく瞬ぱつてきで、
それには、なんていうんだろうな、いろんな事が介入する余地がない。
私がこれを感じたっていうのは、いいも悪いも、正しいも正しくない、それ以前のことなわけです。


宮:ドキュメントをやってて、その起きたことをその瞬間に撮ったりっていうこと?
ア:っていうか、私の場合は、「祝の島(ほうりのしま)」という映画を作った時は、
私の心が動かされるものっていうのをひたすら撮り続けたんですね。
だから、たとえば祝島には、原発推進派の人も反対派の人もいるわけです。
普通は、だいたい見る側も作る側も、
いろんな立場の人間の意見とか、考えを聞いて、それぞれの立場というものを
きちっと公平性、客観性を持ってとらえるっていうことをよくすると思うんです。
テレビ番組なんかも、ほとんどがそうなんですけど。
でも、私はそういった、バランスとか公平性、客観性ってなんだ?という感じがあって、
私が撮りたいと思うもの、おもしろいと思うもの、いいなって思うものにひたすらカメラを向けていこうということで
・・・・作りました。


宮:そういう直感的なことだったら、舞踏なんて特にそうだよね、きっと
まさにそれだけですよね、きっと。
泯さんなんか見てるとそれしか考えられない。
直:書はどうなんですか?
いや、ご住職が静かなのでふってみたんですけど。
住:あ~、なるほどなと思って。
そっち行きたいなと思って。
そうですね、最近の若い者はっていう、いつの時代にも言われる話で、
吉村作治さんが言ってましたけど、エジプトの落書きで、最近の若い者はって記されてるって、2千年前の話 で。
私は最近の若いものなんですけど。ただもう、最近の若い者は、自然との距離と言うんですかね。
やっぱり都会の中にいるとアーティフィシャルな、人工的なモノに囲まれているかどうかって言う事なんだけ ど、
やっぱり自分の息子なんかを見てると、もうテレビばっかり見てとか、ビデオばっかり見て、ゲームばっかりやってるんだけど、
感性としちゃ負けてないような。
公平的にみると、そういうものがあるからやってるだけで、なければ、
この間停電がありましたけど、停電がなくなると人間は最近の若い者じゃなくなるのかな、みたいな。
そこで出来るかどうかっちゅうことですよね。
宮本さんがなぜ和紙の世界に行ったかって言う、すごく気持ちいいですよね。
こういう自然の楮(こうぞ。和紙の主要原料となる木。楮の皮の繊維が用いられる。)の図形であったり、
書の世界もそうだと思うんですよね。
やっぱり修行って、1日、もうひどい時なんかね、1週間ずっと座りっぱなしなんですよ。
1日に10時間座って、だからそんなのね、人間なんて、修行で忍耐とかそんなの絶対続くわけなくて、
だから、それを好きだと思わないとっていうか、人間って追いつめられると、ある時スイッチが入って
体内の呼吸を数えることの楽しさとか、身体の中を感じ始める、そして、それが自然と繋がり始める、みたいな、のがみてて、
和紙なんかもそこがこうなんか自然の世界、神の世界に通じる入口のような 全然違う方向へ話が…すみませんね、
だから、墨なんかにしても、みんなに見てもらえるのかなと思って、3種類、4種類くらいの墨と、
1年間くらい擦りためといたものを入れといて、だから乾くと、よく見てもらうと色んなムラが
なおかつこの楮のムラが、なんかとマッチして何が起こるか分からないっちゅう世界に、
ま、夕べもそうだったんですけど、うん。
ちょっとまとめて下さい。
遊談
ご住職の書かれた「遊談」の書

直:笑、じゃ、まとめます
若者の話からちょっと戻って術の話なんですけど、宮本さんが作られてる和紙と、
ご住職が培ってきた術がいま、あそこにある「遊談」の書になったわけじゃないですか。
一緒にこう重なるというか、になった時に、宮本さん、初めてみてどうでした?
宮:いや、ちらっと言ったんだけどね、光を通すとあれずっと棒みたいに見える、
あれ楮の繊維そのものなんですね、皮そのものですね、
あれが、ほとんど下に置いてあったときわかんなかったんですね。
地がどーんと出てきてるんで、あ、うまく使ってくれたなと思ったね。
そうすると、光が入ってくるとあれ見えてくるね。
これは失敗だって美しくない。繊維が。
だからこれは光を通さなかった方が良かったんだけど、あれおもしろくないでしょ?字に比べて。
そうやって使ってくれてる人がたま~にはいるんだけど。
こうやって、目で見て自分でしみじみと見せられるとさ、いい加減にやってるのが
露呈してるなと思ってみてるんだけどさ。
住:私はもう、和紙に比べて字が恥ずかしくって、
それをもっと、色をぼやかすとか、やっぱりこのものを知らなきゃだめだなっちゅう。
初めて書いたんですよ、これほどでこぼこな紙に。
宮:そうですね、ああいう紙に書くチャンスってめったにないですからね
住:だから(書いている様子を)みてた人は、塗りたくってんじゃんって感じになったんだ。
だから、2階にあるようなこう筆の線みたいな、ま、よく知っている紙(普段から書を書いている紙)との付き合い
ただ、暗かったので、にじませ方がまだ全然充分じゃないんだけど、
そういったものはなかったんだけど、その代わりこの和紙のでこぼこさが助けてくれてるっちゅう。
それが調和して見えてくれるとすれば、まぁ俺にはそう見えてるんだけど、
下手にぼやかすよりは、それ以上にもっと自然な、宮本さんが作ったこの和紙の・・・
直:ちなみに書くときに、その和紙触った時に、あ、宮本さんってどんな人かなって
そういうのとかってあったりしましたか?
住:楽しいけど、基礎がしっかりできてる人、真面目な人、うん。
宮:人を見る目がない
(一同笑)
直:でも、ご住職はそう思った。
ア:でも、そう感じたわけですからね!
宮: だからまだまだ未熟だってことですよ。
直:摩矢子さんとか、あやさんはどう思います? 見た感じの和紙と、宮本さんが重なるっていうか
ご住職の字を見て、
宮:それ聞きたいね
直:それを聴きたいんです。
宮:昨日紙見てもらった時点で俺ってどんな奴かな?キムタクみたいな(笑)
住:なんか障子みたいだったですもんね、そういう優しさって
直:人柄とかって伝わってきたんですか?こうご住職入れる時に、
それはないですか?そこまで行ったら超人ですか?
住:違うの、違うの。これ持ってくるの、高村くんに迷惑だって。
直:一番最初にお寺さんに持ってったんですもんね。本当にこれに書いていいの?って。
舞
住:いや、ただこういう昔の和室の障子っていうのは、こういう”◯(まる)”があしらってあったりっていう
おもしろさ。こう江戸時代なんか、それ以前も、やっぱり日本人の感性そのもの。
絶対に、絶対かどうかわかんないけど、西洋人には作れないんじゃないかな?
だから、こうやってここをピシッとしておもしろくないって言ったけど、
われわれ見る側からすれば、2階にある「舞」って言う字が全部、ちゃんとあれ
真面目にああいう字がありますので、ただ思い付きで書いたわけじゃないんですけど、
「舞」って言う字、摩矢子さんを見ながら書いた字ですけど、
これ最初見た時、スプラッタで腸がだらっと出てきたかと思ったっていう人がいました。 
悲しさを表現してるんだな言われた時に、そういう風にこの、人って言うのは先入観がなければ、どうにでもとらえられるって言う。
だから、私は障子だと思ってるし、だからそれを損なっちゃいけないなと思いながら
ずいぶん損なっていますんですけど、、、何の話だっけ?
直:じゃあ、逆に・・・
住:あ、逆に、今日聞こうと思ってたんですけど、「遊談」って言うことはあとで聞くとして、
「術(ジュツ)」ってどういう意味で高村くんは求めたのか。
直:求めたっていうか、要は人柄。いまちょっと聞こうとした質問なんですけど、
僕も言っててちょっとわかんなくなるんですけど、「術」、何かものを作ったりとか、表現したりとか、
作品ができたりとかっていうのは、少なからずその人を反映するわけじゃないですか。
映像にしろ、和紙にしろ、踊りにしろ、書にしろ。
で、その出来たものと、その作った人の側がよりその間にあるものっていうんですか?
その「間」にあったものを介して人とコミュニケーションするってことが、
ぼくはほんとに触れてるっていう感じ だとおもうんですよ。
作品、たとえばこれを見て、これが例えば100万円だとして、これは100万円ですって言った、
その価値で見るのか、もしくは、これが4分33秒の砂時計だと、
この4分33秒っていうのもジョンケージって言う音楽家がやったんですけど、
4分33秒っていう時間のあいだにある音が音楽だって説いた人なんです。
それに価値を見出す。そのもの自体に価値を見出すかっていう。
4人に聞きたいのは、「術」、誰かの真剣な「術」を見た時に、その人まで行くかどうかって言う。
人が伝わっていくかどうかっていう、って感じますか?
摩:いま、私が答える流れになったんですね?いや、感じますよね。出るでしょ、やっぱり、生き方っていうか。
だって、その時にどう作ったかじゃなくて、それまでの間にその人がどういう風に生きてきたかっていうこと
ですよね。だから、「いや、そんな風に思ってそれを作ってないよ」って言ったって、それまでの10年なり、
20年なりの自分が生きてきた時間も含めてそこに表れてるわけだから。
それは確実に、あらわれてますよね。
「術(ジュツ)」っていうか、たとえば技術ってあるじゃないですか?  私舞踏やってて思うのが、思うというか
ずっとそういうものだろうととらえていることが、ひとつの技術、
ここでは技術っていう言い方をさせてもらいますけど、技術を習得するのに、何年もかかることあるじゃないですか。
それでその技術が、それが使えるようになった時、
それができるようになった時に、結局その技術が結果なのであって、多分ここで大事なのは、
その技術を習得する数年間なり、ま、数ヶ月でも、1週間でもいいんですけど。
それまでの過程の中にどれだけいろんな時間とか、自分の感覚とか、どういう風に何を感じて、何をどういう
風に生きて来て、どういう風に人と接して来て、何を食べて、どこに遊びに行って、そういうようなこと全部が
その過程が見えてくるって言うのが、私はいいなといつも思ってます。
今は技術。自分が舞踏をやっている中での、ひとつの技術を習得するって言うことで話をすれば
そうだと思う。だから、何気ない一瞬の、ただこうやってやっただけでも、何気なくそれができる、
さらっとそれが出来るっていうまでに、ものすごい時間がかかってるはずなんです。どんなジャンルでも。
その時間そのものが、の中で何を理解したかっていうことが、私は美しいなぁなんて思ってます。
玄:ものづくりって必ず、絶対に自分っていうものをどこかしらにあらわれてくると思うんですけど、
たとえばクラシックとかだと、その作曲家がいて、それをいかに忠実に再現するかっていうのも一つあれば、
自分の自我をおろすっていうか、どれだけそれを再現するかっていうのもあれば、ほんとに自己主張の
で、とにかくオリジナリティを出すっていうのもあったりして。多分、それぞれやられている事によって、
自分の表現っていうのを、どのくらいの温度で、どのくらいの割合で、どこに重点を置くかっていうの、
きっと多分、やられている事によって違うと思うんですけど。一概にはだから言えないとは思うんですけど
その辺とかってなんか、それぞれ、自分がすごい興味がある事ってさっきおっしゃったじゃないですか、
でもその対象はやっぱりいて、その中で自分が興味ある事とかどのくらいの割合でその作品の中に込めるか
とか、どれくらいそれが、たとえば伝わって欲しいと思っているのか。多分、それぞれ作られているものによ
って、その温度感が違うと思うんです。その辺ってどうですか?
ア:私の場合は、極力私が何を感じてるとか、この人をどう見て欲しいとか、
そういうものを取り除いていくっていう事を最終的にどんどんしていったんですね。
ナレーションも、つけようと思えばいくらでもつけられるし、その映像で感じて貰うっていうことに不安があったら、
ナレーションで誘導することも出来るわけですね。
映画を作るって時間も、お金も、とてもかかることなので、
それだけの想いを持ってつくるということは、すごく伝えたいこととか、この人素敵でしょ!とかあるわけです。
だから、思いはいっぱいあって、色々言いたい。
結局、映像を2年間で198時間撮ったんですね。で、それを1時間45分にまとめたんです。
最終的に編集でしていく作業というのは、100あるうちの何を1つ最後に残して伝えたいかっていう
そういうような作業だったんです。途中から、自分が何を伝えたいとか、何を想ってこの人たちを撮ったとか
こういう映画を作ろうとしたかっていうことをずっと自問自答しながら、最初は5倍くらいつけてたナレーションを
ほんとに最低限、その言葉、一言を選ぶっていうことをしていった時に、だんだん見えてきたことは、
私が思う映画っていうのは、私がこういうことを感じて、
相手との関係性を築いて、その場所に立ってその瞬間にカメラを回してるっていう、もうそれだけで
ものすごい自己主張なわけですよね。それ以外に、何を足す必要があるかって。それを見てもらって
相手に自由に受け取ってもらうっていうことが、醍醐味なんじゃないかなっていうことを思い始めたんです。
だから、伝えたい思いが強ければ強いほど不安になったりするんだけれども、
でもその思いを自分自身が信じていったときに、
相手に任せられるというか、観て下さる方に渡せばいいんだっていうような気持ちになっていったんですね。
それとさっき、高村さんが言っていた、その作品と、作り手と、その間にあるもの、っていう話しがあったと思うんですけど、
私は、それは映像だけじゃなくて、誰かの手によって何かが生まれた時に、
そこにはその形をとるまでに費やされてきた時間とか、その人の想いとか
そういった情報って実は全部そこに入ってるんじゃないかなっていうことは思っています。
すごくそのことを信じているし、それがおもしろいと思ってるから、自分も作りたいと思ってる。
私が「祝の島」という映画を作った中にでてくる平さんというおじいさんは、
日本最大級という棚田をずーと守っているおじいちゃんなんですよ。
すごい棚田なんですけど、それは平さんの祖父の亀次郎さんが作り上げた棚田で、平さんも
子供のころから石垣つくりを手伝ってきたんですね。で、その石垣っていうのが、
私の身長よりも大きいゆうに1トンを超すような石がごろごろつまれてるんです。
平さんがすごく素敵なおじいちゃんで、その立ち姿や所作、ひとつ一つが本当に美しくて、平さんの細胞ひとつひとつが、棚田の石垣の石みたいに積み上げられて
今この人のこの姿があるんだって思ったんです。
だから、平さんがずーと続けてきたことがその人の体に現れるんだなって、とても思ったんですよ。
そういうこともあって、今、目の前にある現象とか映像ひとつにしても
永遠と続いてきた背景にあるものの一点がそこにあらわれる、とても面白いなと思っています。
直:それは、暮らしの積み重ねみたいなものですか?
ア:だから映画も、わたしは 自分のおしりの穴までみられるようなものだと思っていて、
これをみたら私の色々な事がわかってしまうんだろうなってすっごい恥ずかしいなって思いながらも、
全裸になってやる!っていう感じで やっています。
宮:あの、、う、、ごほっ。 年とると喉にたんがからむんだよね。。
(一同笑)第一声がかならずからんでくるんだよ(笑)(一同笑)
実は、なにか作るという人たちは自分でやっているでしょ。
んで、僕が作るのは紙なので で、紙というのは、誰かに使ってもらって紙でしょ。
だから紙漉きの職人さんっていうのはどうするかっていうと
いかに個性をでないようにするか、いかに消すか。
だから昔からの紙漉きの産地にいくとわかるんだけど、機械と同じように、いかにすれるかという究極の仕事だったの。
それに作品書いて、色ぬって、版画かいてもらって 紙がなりたつわけだから 癖がでてきたんじゃ、つかいものにならない。
機械漉きとまったく同じようにすれるかが、大事。というのは、同じようなものが再現できるかということでしょ。
再現性というのは、完璧にやることやって 同じようやって はじめてなりたつ。
だから個性をいかに出さないようにするかだけしか考えてない のが 本当の職人さんです。
だから私は職人ではありません(笑) 今回はこうなっちゃった、
あっ これはこうなっちゃった、というね(笑)(一同笑)紙を作る仕事ね。
ん。昔は、障子紙や賞状なども、和紙で漉いて作っていたんだよ。
それでね、今、現在 実際本当の和紙っていうのはないんですよ。
でも、今いったように和紙をそういう気持ちでつくって入る人は日本に何人かいます。
でも 労働の対価、金をよこさないと作らない。というようになっていますから。
それで、僕はそういう技術もないから、どうしてるかというとこういうイベントとかで紙漉き職人って
書いてもらえるでしょ。それで、話聞いてもらって和紙ほしい人って手をあげてもらうでしょう。
それで、和紙を買おうかなっていう人がでてくるでしょ。その願いだけで紙漉き職人やってます。
で、ふつう、職人さんって寡黙とか、しゃべらないとかっていうのがあるでしょ。
TVとかでも イメージとしてあるじゃない。
でも僕は、しゃべる職人さんを目指してます。本当の和紙はつくれないけれど、和紙っていうのがあるんだよ。
いいもんがあるんだよーって日本中に、世界中にメッセージするという 和紙業界のメッセンジャーを目指してます。
直:では逆に聞きたいんですけれど、芸術家?表現者?と職人の違いって?
宮:たとえば、やたらアーチストとかっていうやついるじゃない、ああいうの大嫌いなの!(一同笑)
それで ね、紙でも同じなんですよ。
多分知らないと思いますけど、安部榮四郎というスーパースターがいたんですよ。もう死んじゃったけど。
人間国宝になったんだけど
そのひとなんかどうしたかというと、自分の漉いた紙、全部ハンコをおすんですよ。
もちろん、表でなく裏ですけどね。
今なんか、いっぱい 色々な人が押してますよ。これは俺の紙だーって言って。
作家のつもりでいるんですよ。職人じゃない。だから焼き物でもなんでもそうだけれども、
職人さんはこちら で100円のものつくってるけど、アーチストは3万円のものつくってるとかいう。
どっちがいいか じゃなくて 本人の自己満足なだけだよ。
だから、なんかいやなんだよね。石投げたら必ず、陶芸家にあたるとか、山口県とかね、八ヶ岳とかも、
かならず石投げたらあたるくらいいるでしょ。だから、もうちょっとね、わけのわからないやつに
5万だ10万だつけなくて、500円、1000円と、本当にいいものを日本で使わせてけば
どんどん蘇ってくるよ。どんどんつかって、割ってほしいの。割らないように飾っておくんじゃなくて
割ってほしいのね。あーまた割れちゃったって。
そういうふうに作家が 俺がアーチスト とかいう感じじゃなくて、
どんどんどんどん、職人さんにちかづいていってほしい
値段もふくめて。そうしないと日本人の全体のレベルがあがってこないよね。
うちでもそうですよ。紙漉きを体験した人が、つくるでしょ。きたないの作るんですよ。
わざと、ねらってそういうふうに、やらせるんですね
面白いほうがいいから、きれいじゃなくて。
失敗とかじゃなくて個性とかでもってつくらせるんですけど
で、それどうするの?って聞くの。これは自分で作ったからとっておきたいっていうの。
だから、とっておいたらハガキにならないって 使ってもらってハガキになる。だからね。うーーん
一番いいやつを送ってね。
作家さんやアーチストだなんていわないでほしいよね。
玄:はい。では ちょっと つかえるもの、例えば、書でめでるものとか、
用途によって変わってくると思うんですけれど、その点、ご住職とかどうですか。。
そうだな、書とか使えるものじゃなくないじゃないですか、飾るものであ って。実用的でないもの。というか。
住:今、うん、みなさんのお話を聞いていて、すげーなって思いました。そうですね
我々は字を書くときに、書に関しては
文房四宝といって、紙、墨、すずり、筆。私は超一流なものはつかってませんけど。
おやじが、子供のためといってすごくいいものを ためておいてくれたんですよね。
昔の、奈良の職人がつくったものや、本当にいいものをたまにつかわせてもらったり、紙も筆もね いいものを。
一流の職人さんのもの。だから。その本当につかっていいのか悩みます。
だけど、私みたいな、こんな字しかかけないんだけれども職人さんの手の上で踊らされている。
作家とかアーチストとかではないですけれど。。
本来、禅の目的も自分を消す事ですし、個性を消す、私を消す、ということは、一つになりきる。
和紙職人さんもこういう言い方いやかもしれないけれど
紙になりきる というかね。で、舞になりきる、映画っていうのは、どうかわからないけれども
祝い島、本当に見たいと思いました。なんか、自分の表現を超えて、言葉を超えてまとめてゆくという事ですよね。
だから、もともと「術」って漢字、ありますよね。漢字を扱っているから言わせていただくと。
甲骨文字なんですけれど、もともと甲骨文字は人間のイメージ、
非常に、プリミティブな原始的なイメージなんですが、一番端的な、記号ではなく絵ですね、
まあ、誰にでも 描けるようにっていうことで何千年もかかって成立するんです。
で、「術」っていう字ははもともと、真ん中にこういうのがあるんですよ。
術
あれは、とうきびかなんかを現している。
自然のもののとうきびのつぶつぶのそろい方、あれは非常に美しい、神の創ったもの。
例えばひまわりの種の並び方、蜂の巣の並び方 銀河の渦巻き。
全部、人間のつくったものなんか一個もないんだけれど、人間のつくったものを超えている。
多分、職人さんっていうのは、それを目指しているんでないかなと、
それを見ると、”フィボナッチ数列”っていう数列があって
その比の値の極限値が、五角形のなかに成立している黄金比と言われるという
1対2分の(-1+√5)
もっとも美しいという比率に近づいてゆくんですね。
その神の領域に近づいてゆく、そういったような自然の美しさに、人間は感動するんですよね。
だから富士山を見て、なんでいいかというと、数学的にみれば、そんな見方間違っているかもしれないけれど
シンメトリーのようでいて よく見ると、シンメトリーではない。
だけど人間には決してつくることができない
そういうものを、そろえる。神様の技、自然の技、、
それを人間が行うって言う事が「術」ということの語源なんですよね。
それで、お話を伺っていて、乱れているものを揃えさす、しかもそこに自分をださないで
乱したように見せるという事はすごいですよね。和紙で、この楮が乱れたように
なおかつ、揃っているからつまらないんだというような、そこになんらかのイメージがあって。
どうしても、人間ていうのは、自分というものが加わってくる。と思うんですよね
だから書なんかでも最近売れている、TVによくでている方々も すごくわざとらしいというかね
こう、やってるぞーというね。
で、私は、昨日、カメラマンさんに自分の書いてるところを撮っていただいたんですが
言われたのが、あたりが暗かったのですが、言われたのが「おしょうのドヤ顔が、背中から伝わってきた(笑)」と、
どうだ、すごいだろーっていう。あー最悪の批評だったなーと反省しました。
うん、自然にやりたいんだけど、できないし。
もう一個いいですか「みえないもの」 なんの役にも立たないものを一生懸命やるっていう。
これ禅の世界では、陰徳というんですけれど
日光東照宮で、今改修工事をやっているんですけれど 今やってる職人さんたちがいってるんですが
表にはみえない、裏側の細工がすごいと。それはなんのためにというか神さまにみせるところためだから
一番、大事なところとしてとらえていて
で、自分が、人にみせるために表現を繕うことはできるけれども
裏側にそんな工夫をやる、表側以上の仕事をやる、それを神さまにみせる
その、神さまというのは、自分かもしれないし、職人の心意気かもしれないし
そういった日本という美しい文化をもったのは職人さんのそういった性質があるのではと。
職人は絶対、精神なんてことば使わないですから、うん。毎日の仕事を淡々と行うのが、職人なんではなかろうか。
だから本当に、昨日の摩矢子さんの踊りなんか見てて、間近でチラチラみてるんですけれども
やっぱり観客の人たちも感じていたかもですが、わたしには、気なんかみえませんけれど
気があたかも繋がっているような。例えば、風の谷のナウシカで
オームの触覚がずーーと伸びていくような繋がりのような。
触覚のそろえかた、ああ、「術」だ、と思った。
だから、「術(ジュツ)」と「技(わざ)」っていうのは、何が違うか考えてきたんだけれども
ジュツっていうのは神様の力というか、粒々を揃えるような。墨にも粒子がありまして、ちゃんと筆をたてて、
腰を入れて、呼吸をいれて書くと、粒子がそろうっていうんですよ。顕微鏡写真でそういうものがある。
摩矢子さんとそういう話をしたんだけど。
それはやっぱり、ジュツの、とうきびをそろえるような、神の技に近づけるようなもの。
そんな感覚かなっていうね。
摩:私、ご住職にはじめてお会いしたときに、
書家の方が書いた書は、墨の粒子がそろっていると聞いたことがあるって話をしたんです。
住:実際、(稽古で)踊ってもらって書いたんだよね。色が違うんだよね、こう、書くとね。
摩:そのときにご住職が言ったのは、墨の粒子が整うっていうことは人間の力だけではできなくて、
やっぱり自然界の、風だったり水だったり…
住:いちばん大事なのは重力。
遊談
摩:そう、重力…。そういう自然界の力、目には見えないけれど、そういうものの助け、っておっしゃいました?
人間の力だけではそれはできない、って言うのを。それはもう、本当に素晴らしいと思いました。
で、私さっき、技術という言い方をして、それを習得してゆくまでの間、
どのようにして、何を感じ、何に心を動かされて、どうゆうふうに人とか動植物に接してきて
そういう全ての経過が美しいと思うんですけれど。この結果だけじゃなくて経過自体をね。
で、それは、その間の”俺を表現する”というんじゃなくて、
ちょっともしかしたら誤解があったかなと思ったので補足させて頂きたいんですが
その過程で、”自分が、俺が”っていう個を、気づくために、あーそっかそっかと
1個気づくたびに、手放してくための事です。
プラスしてゆくんじゃなくて、気づいて、そうか、まだこれも自分の先入観だった、そうかこれもまだ自分の既成概念だった
1個気づいて、1個手放す。だから、まだできない事とか、はじめてやって出逢ったこととかに
1個出会うたびに軽くなってゆくという喜びのほうですかね、自分の想いをどんどん増やしてゆくんじゃなくて。
想いって重たいですからね。
気づいて、そうか、私は、まだここまでしか知らなかったけど、こっちにも広がって…
だからどんどんどんどん、心も頭も広げていって
その、個とか、俺が私が、ってこのへんの(小さい)世界だったのが、もっと軽く、広げて、
ストレッチしていって伸ばしてゆく、いろいろと自然界の感覚とかと繋がってゆく。
ということが 私の言っている過程の気づき、気づく事とか、どういうふうに生きてきたかっていう。
うーーん それが正しいというんじゃないですけど、
私が理想としてる、生き方というか歩み方というのは、そういうところですよね。
だからプラスしてゆくための生き方じゃないっていう。うん、そういうこと。
その結果、技術というか、ジュツというか
そのことが、結果として、できるようになったときは
「俺を見て!」という表現ではない、というものだと…。だから職人さんの姿ってすごい美しいんですね。
ご住職の書を書いている姿もそうですし。
宮本さんが紙を漉いている姿ってみたことないんですけれど、
私、埼玉県出身なんで小川町っていう手漉き和紙の里が あって、
和紙職人の同じ歳の女の子がいるんですけれど、工房にいってその姿を見せてもらったときに
下手に自分を表現しようと思ってる踊り手、踊りよりも、淡々と紙をすいている姿、
書を書いてる姿、きっと(映画監督が)カメラまわしてらっしゃるときの姿、後ろ姿。
本当に美しいんですよ。そういうふうに感じます。
私なんかは、からだそのものが 同時に素材であるわけだから
自分を見て、とか、自分を表現して、とかじゃなくて、
なんのために?というか、自分をどうこうじゃなくて
もっとでっかい。技術とか超えた もっと何かのために やってる姿というか姿勢っていうか。
だから、ジュツを習得すること自体が目的じゃないと思ってます。
ジュツを習得してできたというところをゴールにしちゃったら
それはもう、習得した時点でOK、っていう、また1個自分を作っちゃうっていうか。
和紙の楮の目の揃い方も、工房で見せてもらったんですけど。
さっきまで、こんな木のパリパリの皮だったのに、水につけてとろかして、ふやかして
ほら これぐらい (楮の繊維が)開くんだよって言って見せてもらったときに、今ご住職がいったように
宇宙の模様かとおもいましたよ。すごいんですよ。なんなのその美しさはと。パアーッて開くんですね。
私は目に見えるものが、目に見えるだけの形だとは思わないし、
もっととかして、ふやかして、熱湯にいれてみたら・・シュワワワワワッーって繊維が広がる。なんて美しい繊維!
で、人間が鍛えられていく過程みたいだと思ったんです。ぐちゃぐちゃにされてバラバラに一回されて、
最後にこうトントントン…って漉かれて、一枚の紙になっていって。
和紙ができていく過程って、ほんとに自分と同化させちゃった。自分がこう、色んなことで思い悩みながらと
か、いろんな、まあ、壁にぶつかったりとかしながら進んでく姿と和紙ができるまでの過程と、
和紙を漉いている職人さんの後ろ姿とかに私はすごい同化しちゃう、もう、私は泣いちゃいますよ感動して。
あれ、話し長くなっちゃったけど(笑)
自分が何かを習得していく過程っていうのは、どんどん付け足していくんじゃなくって
その逆でありたいっていうのは、うん、私の場合ですね、はい。
宮:職人をそうやって、認めてもらえると嬉しいね、職人はね。職人をやっていればね。
例えば、何かやってる人はきっとそういうこと感じるんだ。映像とかでも同じこと言ってたよね、
いかに削っていくか、削っていくか、削っていくか、って、ほんとにもう、
素に近いとこまで、ずっといくわけだよね。職人もそういう気持ちで創ってく人がいればいいんだけど…
またちょっと話し変わってくんだけど、今はやっぱり最後は、「金(かね)」なんだよね…。結論。
もうやっぱりね、全てダメにしちゃってるの金だと思ってるんで。
摩:いや、ほんとそうですね。
宮:そうですよ。金ですよ。あの、ちょっとまた金のことでね、暴論を吐くとね、(一同笑)
女の人は働いちゃだめなんですよやっぱり。
摩:女の人は働いちゃだめ?
宮:そう(笑)。というのは、みんな今確かに能力いっっぱいあるんだけど、
あ、話し変わっていい?おもしろい話だからいい?
(一同笑)
摩:興味あります(笑)
宮:能力いっぱいあるんだけど、もちろん勉強させれば女の人のほうがはるかにするんだから、
いいに決まってるんだけど、実際にはやっぱり、神様が創った、神様が創った役割があってさ、
男に赤ん坊産めったって絶対産めないわけだから。ね。
そうすると、やっぱり、3歳とか4歳までに全部母親見て子供が頭つくっちゃう、っていうのは
当たり前のことだけど、例えば、中学卒業するまでは、つきっきりで家にいていいんですよ。
それが今は親はうちの周りだって結婚してすぐ離婚しちゃって、子供はいるけどまたすぐ若い男が来てとかって
いっぱいありますよ、山の中にだって。それは明らかに子供に影響出てる、出てくんのはみえみえなの。
で、今は子供平気で殺しちゃったりとか、若い男が来たらそいつがいじめるとかいくらでもあるんですよ。
ますます増えてる。これは、大切なのは、この人いやだからって簡単に、
そのへんのどっかのパーツを取り替える感覚でお互いを取り替えてるというふうにしか見えないんだよ。
この、全ての根源が、そこにあると思ってるんで。それを一番悪くしてんのが、
もっと言うとコンビニだと俺は思ってる。話どんどん変わりますから。
(一同笑)
宮:おふくろの味じゃない、コンビニの味だよ。ただ、北海道行っても九州行っても、
全国チェーンの大手のコンビニなんかちょっと味は変えてるだろうけど、
だいたい同じもの売ってて同じもの食ってるから。
これはね、俺たちの子供のおふくろの味だつって、芋食ったりとかいねっぱいあるけど、当然あるけど、
今の君たちから行くと、おふくろの味っつーのは、最後はコンビニになっちゃうんだよ。
摩:違うでしょ~~(同意)
宮:そうすると、これは、そういうの含めて、働くようにって、子供ともほとんど接点がなくなる、
それで親とも別でしょ、住んでるのが。これは日本が変な方に行くのは当たり前だと思うね。
つまり、アメリカ化しちゃう。そのうちに朝メシはもうコーヒーとパンとかちょこちょこっとかさ。
いわゆる日本のあの伝統的な朝メシが出て来ないとかね。あれで体力、体型保ってたのがそのうちみんな
ブクブクブクブクって、こんなに太ってきちゃったでしょ、みえみえだよそんなの。
だから、若い人のなかには田舎いってさ、農業しようっていう人がちらほらでてきてるけど、
あれはマスコミがやるだけです、実際続きませんよ。
マスコミが面白くてやる、ネタがないから使ってるだけなんですよ。
だから、ほんとにやりたい、っていうのはね、 マスコミなんかには出て来ない。ほんとにやりたいやつは。
だいたい田舎に住めば間違いなく地元で100%監視されてますから、もたないですよ。田舎に住むんですから。
それを乗り越えて、何を言われようと私はここで生きて農業をやってくんだとかいうふうに行けば、ね。
もうジュツはほったらかしで、日本を良くするにはそれしかないって、
田舎ではそんで、嫁さん募集してますからどうぞ手を挙げてください。
(一同笑)
宮:絶対、それが、日本を良くしてくんですよ。
結局ゆくゆくは、地域の鍛冶屋さんが出て来るとか。○○屋さんが出て来るとかいって、
またもとの、30年経つと、昭和のころの日本に戻てですね、そこで術が実は生き返ってくるんです。
だから今伊勢神宮はほら、20年遷宮ってそのためにやってるんだからさ、技術がつぶれないように。
20年の間だったら後継者必ずいるから。全てのものを替えるってのは、そのために伊勢神宮の遷宮ってあるんだよ。
20年。20年の間にね。だから20年間ぐらいだったらなんとか持つんで、もうちょっと生き方をちょっと変えてみて、
じゃあ20年前に戻るっていうのは無理なんだけど、その意識をみんなが持っていっていれば、技術が残ってく。
今、伝統産業が全滅ですからね。みんな六本木ヒルズ行きたがるんです、仕事しないで金持ちになる。
やっぱりね、仕事はして、食うだけ、自分が食うだけ。それで隣の二軒三軒に、
なすが採れたから、きゅうりが採れたからって渡すぐらいでいいんですよ。あんな城作らなくたって。
っていう話をですね、ぜひ、言いたいですね。
住:一番最初の部分…、女は働いちゃいけない、って言うのは…
宮:あ、結婚していいけど、働くな?
住:俺その話しで、うちうちの中ですけど、一昨日の晩、あの~、奥さんと大げんかになりまして(笑)
家出てっちゃって、まあ今日帰ってきましたけど…(笑)危険だからあんまり言いたくない(一同笑)
別に心の底から思ってる訳じゃないですよ(笑)。だけど、そういう部分ってあるかもわかんないね…。
だけど、奥さんなんかはすごく、お寺ってこともあって、家を守ってるんですけど、だからすごく、
摩矢子さんとコラボするって言うと、「そうやって女の人でもがんばってる人はいいわよね」みたいな、
そういう話しになって、これは憧れっていうかね。私はうちの奥さんとはそもそも書道の先生のところで出逢って、
私の奥さんの方が先輩でずっと上手かったですから。それがいつの間にか追い越しちゃって、それが、 大変申し訳ない。
子育てや、家事に追われて好きな書道もできない。へたくそな俺が好きなことをやってるのが気に入らないのかなー。
大変申し訳ないと思っていますけど。
宮:じゃあ、今度行って、一緒に呑もう。
(一同笑)
住:だけど私は女性には女性にしかできない仕事があると思っていますよ。
宮:そう、そうなんですよ。
住:それは、ひとつの、女性のジュツだ、という思いますよ。
摩:いやぁ~。そうですよ~。
宮:だからほら、子育て終わってからガンガン働けばいいんだから。
だいたいさ、旦那が育児休暇取るなんて人でてきてるけど、
…組長さんなんかになってる連中にはさ、育児休暇なんかとってほしくないよ…
直:笑。ちなみに、さっきなんかちょっと聞こえたんですけど、コンビニの話。
宮:大嫌いだね。
直:大嫌いですねえ。
ア:私、コンビニもそうですけど、こないだ、マクドナルドに、10年ぶりぐらいに入ったんですけど、
あーーーーー、私ね、ほんとこれがね、日本の食文化をダメにしたな、って思った。あの、ファーストフードが。
で、そのとき朝ごはんをそこで食べなきゃいけなくて、頼んだんですよ。
宮:けど、美味いよね。
(一同笑)
ア:破壊的な食べ物だって思ったの。
だいたい、このパンに、この肉が入ってレタスが入ってどーして100円200円で買えるのー!?
って。
で、その、同じ味が、全国どこでも食べられる、って、おかしいですよね!!
というかすごく不自然!!それって破壊的だなって。
(一同笑)
ア:均一化したものを、あれだけ大量に生産できるっていうことの不自然さに気がつかないっていうことが、
ほんとに病んでるなって思ったし、
人間の持っている手技でできる範囲の数量とか質量ってあると思うんですが、
それをね、完全に飛び越えちゃってるっていうか…。
先日、ある建築家の方が話していたことで、その方は、自然の杉とか檜とか、そういった木材を使って
建築の資材にするとなにがいいかって言うと、その尺に、必ず限界があるわけで、木材には。
で、その尺が人間が心地良いと思う空間の尺になるんだと。
だけど、人工的に作ってる資材はいくらでも大きくできるわけですね。
この、自分の体で届く範囲とか、繋がれる範囲とか、
伝えられる範囲とかっていうのが、ほんとうにこう、全く今わかんなくなってきてるな、
って思ったんですよね。
そういうことを考えたときに、映像っていうのは何十回、何百回と、
人に見てもらえるっていうもので、それは近代的なものなんですけど、
でもだからこそ、それを使って、じゃあ何を伝えようとするのか、っていうところだな、というふうに思っています。
直:ちなみに宮本さんが飲まれてるスパークリングは”ナントカイレブン”から買ってきましたよ、すいません(笑)
(一同笑)
宮:だからあの、否定はしないからさ、否定はしないけど、現実問題は、全ての商店がつぶれてるでしょ?
摩:個人商店ね…。
宮:大手は、それが、売り上げ悪くなると平気で明日営業所に行っちゃうんですよ、
全部つぶしといてよそへ行っちゃう。
直:そっか、そうですね…
宮:それは今のスーパー見ればわかる、デパートから大手スーパーが出てきて、
こんどはコンビニへ入って来て…どんどん変わって来たでしょ、だけどスーパーはどんどん撤退するわけ。
デパートだって撤退する。で、今コンビニがやたら飽和状態になって、
こんどはこの辺りでも小さいコンビニがだんだんやられていなくなってきたよね。
直:いなくなってますね。すいません、関係者がいたら!
宮:それは間違いなく、金が動きがいいとこがみんな買って、イヤなところはつぶして、
自分とこだけ一人儲けしようというだけなんです。あなたたちの環境を守ってるわけじゃない。
今は便利だけど明日いなくなったら、そこからまた20kmも先行かなきゃいけなくなる。
そんなの、今の便利さしか求めてない…人たちがいていいのか…。犯罪でしょ、だって、あそこで売れるものが、弁当。
弁当が一番売れてるんだよね。弁当が売れてるってことはまず母親の味がなくなってくるでしょ。
弁当もあれ、期限、時間来たら捨ててる、という。犯罪ですよ。平気で捨ててるという。
あんなことが許される日本があること自体不思議ですよ。
直:食糧自給率が低いとか言ってても、ボンボン捨ててますからね。
住:昨日、そういう意味で、ほんとに、久々に美味いもの食ったなっていう…ここで。
山賊料理。人参は人参の味したし。ごぼうはごぼうの味したし。
それでうっすらとこう、一枚焦がすんだよね、ご飯を。それで、それにネバネバのやつをかけて食うんだよ
ね。きゅうりもね、美味かったよね。あれは、絶対コンビニじゃ売ってないようなものを。
だから、昔っからあれ食ってたんだよね、縄文人にしてもね。
そういう、アメリカ人には絶対考えられないような…。
もろこしだってみんな全部どこに行ったって同じ味のもの、虫も食わないような、農薬バンバン、今そういったものが
我々の中にも蓄積されているんでしょうけど、放射能よりも怖いのかなあ…放射能ももちろん怖いですけど、
そういう気がしました。だから今ほんとに、久々に、なんていうかな、頑固親父を見たような。
直:ほんと頑固親父ですよ。(一同笑)すいません(笑)!
宮:まだ酒飲んでないよ(笑)
住:職人さんの説得力。まあ、こう、楮とかみてね、毎日、まあ、美しいなあとかそういう暇もないと思うんだけど…
だけどそれがこう、冷たい水の中でやる。価値がある。男の言葉だろうな、そう思いました。
摩:コンビニでおにぎり何万個とか作って、捨てるぐらい作って完全に需要より供給が上回って、
それよりも、お母さんが自分の子供に、子供のために握ってあげたおにぎりの方がずっと美味しいよね。
住:絶対そう。
摩:だからきっとそういうおにぎりの米の粒は揃ってて、きっと電子顕微鏡で見ると
米の粒子も揃ってるんじゃないですか、ね、そのお母さんの気持ちがね。
住:粒子が揃う段階じゃないことを言ったら、なんかこう、”ダークマター”でしょう。
人間が観測できない”愛”というね。そういうものが絶対ある。
それは物質の世界を超えた別次元のところ…こういう話得意なんですよ(笑)~
おにぎりとか、気持ち込めて作ったほうがやっぱりいいです。
住:そういうの絶対アメリカ人…あ、アメリカ人います?(一同笑)
いや、わかんないんだけど、それは、アメリカの人が
『技(ワザ)』と『術(ジュツ)』の違いがわかんないっていうことだと思いますけどね。
『技』というのは…。ちょっと、利口そうなこと言おうと思って辞書調べて来たんですけど。
『技(ワザ)』も『術(ジュツ)』も、アートですよね。アートか、テクノロジーか。
ただの『技術』みたいに。『技(ギ)』も『術(ジュツ)』もいっしょくたで。
でも、日本人は、『技(ワザ)』と『術(ジュツ)』を完全に定義はしていないけどなんか違うもののような
…気が、してきましたよね?
『技(ワザ)』というのは、甲骨文字では、人間がこう、棒を振り回している、漢字の中にもあらわれてる。
でも『術(ジュツ)』というのは、やっぱりさっきから言ってるように『神の技』。
『技(ワザ)』の中に『術(ジュツ)』がこうね、一点だけ、こう、ある。そんな感覚になってきましたけど。
やっぱり、言葉を超えた、理屈を超えた、自分を全部なくしたところ。人間ってのはやっっぱり言葉…
夕べも、書家は言葉を書きますけど、なるだけみんなにわかんないような(笑)
わかんないようなものをこ う、書かないと、どうにもわかんない摩矢子さんの舞踏には対抗できない。
ア:より多く、より広く、より大きくっていう方向だけじゃね…
宮:それじゃダメだよね。
ア:うん、それをみんなが信じて疑わない方向性みたいにして
現代が進んで来たわけじゃないですか。
人間社会の中で、より多く、より高く、より強く、権力を持ちたいとかね。
富めるものになりたいとかっていうことなんじゃないかなと思って…
住:そうね、今世界陸上やってますけどね…。なにしろ、人よりも多く、
直:速く、
住:人よりもお金を、って思いますけど
ア:それが自然と人間の間では…自然界の中にある人間っていうのは必ず限界があって、
絶対に、自分、人間の力ではどうにもできないことがある…
住:そう、自分の”分(ぶ)”があるっていうことを日本人はわかっていたんだけど…
ア:ありますよね、それってやっぱりもともとはすごく日本人の自然観みたいなものと、
繋がって文化があったと思うんですよね。
住:そうですね、コンビニでメシを捨ててってのは犯罪だって言われましたけどまさにその通り、
米一粒を大事にする文化が日本にはあるんですよ、もともと、水一滴を大事にする、米一粒を大事にする、
そして自分のことは自分でする。欧米では、掃除なんてね、奴隷のやることですから。
私が学校に勤めてたころ、姉妹校がオーストラリアにあって。
姉妹校から日本に留学生が来るんだけど、留学生の先生が、掃除を生徒がやってるのを見て、すごい驚いてましたよね。
掃除っていうのは、自分のことは自分でやるっていうのは、日本の常識なんですよね。
これは日本だけの常識なんですよね。
だから、職人さんでも、まず、昨日も直喜くんと話しをして、『術』の部分で言ったらどうか?って。
やっぱり一番最初に大事なのは、大工さんでもそうですけど、職場をまず綺麗にするっていうことから。
(書家は)墨を摺ることだったらもう、それだけでも三年。とかね。
そういう、徒弟制度っていうか、丁稚っていうか、ほんとに、いっこも役に立ちそうもない、
一銭にもならないようなことを、朝から晩までやるっていうのが修行、っていうよりも、
いつの間にかそれで墨を摺ることによって、腕力、筋力、それから呼吸と腹筋、丹田。そういったものが出来てくる。
これは踊りでもそうですよね。昨日も、来た時に、摩矢子さんがずーっとこう、柔軟をやっていた。
こういうことを毎日毎日何時間もやって、で、舞踏が成り立ってるんだなっていう修練をするんですね。
摩:雑巾がけとかもしますよ。稽古場の、もちろん。そこから踊りだから、って。
住:一番最初に文献に出て来たのは、禅の道元。
「自分のことは自分でやる」とか。それで、「一日成さざれば一日食らわず」とか。
そういう、人に食わしてもらう、金持ちでなにもしないでがっぽがっぽお金が入って来るようなものを
憧れはするけどなんかこう、うしろめたいっちゅうか。まあ坊さんだとそういうとこでやってる(笑)。
宮:もともとうしろめたいから大丈夫(笑)(一同笑)
でもさ、全く一緒だよ。僕も人を見たり、なんか書を見る時には、必ず職場の綺麗か綺麗じゃないか見る。
それしか見てない。ここ来た時もバッと見た時に…。
直:ここはどんな感じでした?
宮:あんまり良くなかったね(笑)
直:あっそうですか~(一同笑)
宮:笑。とにかくね、おいらはいやな性格だから見えないようなところとか、裏とかそういうところを見る。
住:だけどお風呂場綺麗だったでしょ。
宮:今日入ってみればわかる。
直:怖えぇなあ~~~~(笑)(一同笑)
宮:いっくらいいこと言ってもね、やっぱり人間は当然完璧ではないから、つい手が抜けてくところもあるよね。
だから今日のためにせっせと掃除しても抜けてるところがあったりすると、それはもう…
直:掃除してないです。
宮:掃除してないの、それでこんな綺麗なの?
直:そうなんです。
宮:それでけっこう人ってわかるじゃないですか。ちゃんと、普段何やってるかとか。それは急にやったってね、ダメなんですよ。
直:そうですね…。その積み重ね…。
宮:職場は、道具を見ればすぐわかるっていうのと同じことなんだよね。
汚いところから綺麗なものは生まれませんよ。
われわれの若いころはラーメン屋ってのは汚いところが旨いんだって思ってたよね。
ラーメンって今みたいに多くない頃はラーメン屋さん探すのはね、やたら汚くって、
そういうところのラーメンは旨い。って。
直:ああ~
ア:でも汚いところのラーメン美味しいですよねえ。
宮:今でもそう?
ア:こないだそういうところあったー、美味しかった!
宮:われわれもそういうところ探してね、行ったの。でもそれは違うだろうな、と今は思う。
やっぱり綺麗な ところから綺麗なもの。それは心が綺麗でないと出て来ない。
直:コンビニはどうなんですか?
宮:あれは綺麗。(一同笑)コンビニは、綺麗だけどさあ(笑)綺麗だけど、”隙のない綺麗さ”だよね、
作った綺麗さだからね。
直:ああ~。そういう意味の”綺麗さ”なんですね。
宮:綺麗だけど、あれはどう見たってあれだけのギンギラギンの光あててたらさ、綺麗にせざるを得ないでし ょ?
それはそれで、綺麗でお客さん行くからいいんだけど、あれは、人工の美しさだからね。
ヒマワリだとかさ、自然の持ってる美しさっていうのは、これは絶対、何にも比較できないよね。
だって、新幹線とかだってそうだよ、自然物だとか、動物の形に持ってくんだよね。
みんな、自然のものって完璧にできてるんだよ。あれは、超えられないですよやっぱり。自然は。
全部真似したら自然と同じになっちゃう…そうなっちゃうような気がするんで…自然は…
直:完璧だから…
宮:コンビニは、人工の、隙間の入る余地のない美しさだね。美しいとは思わないけど、美しさ、だね…。
ただ電気使ってるだけだと僕は思うけど。
直:そうですよね…。
宮:だれかがさ、一揆起こして一軒だけコンビニを潰すとかさ(一同笑)車間違えて突っ込んでさ、
動機にさ、「実はこれが社会のためだと思った」って一言コメントするの
直:テロリストだよ~(笑)それ、宮本さんが帰ってやってくださいよ
(一同笑)
宮:いや、俺、小心だから
直:やってよー
宮:あれ便利だもん、近くにあると(一同笑)コピーするのに
直:コピーするのに(笑)!
遊談
玄:ちょっと話し戻るんですけど。さっき言っていた新しいもの…新しい術とかいろいろ、増えてるじゃないですか。
で、大量にいろんなものを生む技術とかもあって、確かに、おかしな部分のほうが多いなって自分も思うんだけど、
でもそれによって間違いなく助けられてる部分もあると思うんですけど、
それぞれの生活の中とか、表現とか、産み出しているものの中で、そういうものとのそれぞれの付き合い方、
どういう付き合い方をしているのか?とか…
宮:そのことでちょっと言っていい?例えばパソコン、コンピューター用語とか、いっぱい入って来るでしょ?
違う新しいものどんどん入って来て、君たちはiPhone とかiPadとかやるでしょ?
それを若い子はみんなポンポンやってるわけよ、現実問題ね。
それで、例えば東京へ行って俺たち、切符買うのだっていやだから、実は。おじさん達は。
そういう、つまり、新しいものが入って来たときに、全く今までなかった概念のものが入って来たときには当
然、その言葉を使った方が、世界中で使わなきゃいけないんだから、iPhoneだとか言ってりゃいいよね。
言ってていいんだけど、例えば、それがわれわれ世代…自分がそうだから、われわれ世代一緒にしちゃうけど、
iPhone欲しくないんだよ。東京行って買おうと思っても、電車の中で、携帯なんかで話をしてるのを聞いたときに
外国語を聞いてるとしか思えないでしょ、現実問題は。
そうすると、もう社会構造が、言葉で、年寄りと若者とでは違う言葉、言語になってる。言葉そのものが通じない。
意志の疎通ができるわけないよね。それは年寄りをいたわろうという気になららい。
便利になればなるほど、みんなはいいと思うかもしれないけど、
なればなるほど、こちらは生きていく場所がなくなっていく。そのへんは、両方残す、とうことを考えてくれるんならいい、
例えば、自動改札で東京で、なんだっけ、ピッとやるとサーッと通ってくじゃない?
ア:スイカ!
宮:スイカ!俺たちなんかなるべくないとこ選んでさ。
直:俺もそうですよ、俺もスイカ使用の自動改札がないとこ選ぶ。
宮:そういう世代もいるっていうことは、それもいいけど、そうじゃない人たちも通る道をちゃんと作るというのが
社会に対する優しさだと思うんで。新しいものどんどん入って来て絶対喜べない年寄りがいっぱいいますから。
そうしたら、外でてくのやんなってきますよ。
昔はだって、東京行ってた頃には切符買う時には一番安いとこ買って、精算する。
だって地図見てどこって探すの面倒くさいしさ。
とりあえず一番安く買って、そうすると精算ってその当時は駅員がやってくれたのさ。一番端っこのところで。
直:今もやりますよ。
宮:今はね、自動精算機、ね。全部機械っていうのは、これは大人にとっては最悪の…
玄:ものすごい最新の技術とかもそうですけど、まあ、言ってみたら車とかも同じ流れを通って来たんですよね。
それはなんとなくそうなってく。それに助けられつつ…
宮:必ずしも便利とは思わない。
玄:でもなにかしら落としどころを見つけてみんな、否定する人はして、っていう、利用する人は利用して、
っていう感じで、今ずっと来てると思うんですけど、なんかそのへんでそういう感じで、どういう落としどころを見つけるのか。
どういう利用でもいいし、拒絶の仕方でもいいんですけど、どうお考えかなあ、っていうのを聞きたい。
直:そう、世代でわけるとすると、宮本さんが僕みたいな年代のときもあったじゃないですか。
そのときに、上の世代の人たちも、たぶん同じこと考えてたのかもしれないっていうのもありますよね。
車とか電話とか。電報のほうがいいじゃないか、とか。そういう、色んなものがある、その落としどころだよね?
玄:きっと、新しいものが生まれたら、失われていくものは当然あるはずだと思うんですけど…
宮:でも今の新しさ、っていうのはさ。ワケがわからない…、
昔だったら日本語で話しができたけど、今は英語を使わないとワケがわからないじゃない?現実問題。
例えばチャンネル変わってTVもデジタル化されたじゃん。地デジになってあまってる電波を作るためだとか
どうだこうだとか言ってるでしょ、そういうことがさっぱりわかんない。
例えばカタカナ語なんかでてくると、多分それぞれが違う感覚で頭の中に入って来る。
それで正確に説明してっていうと、下手するとその作った奴しか知らなかったりする。
曖昧に聞いてるから、ぐちゃぐちゃに聞いてると
ますます日本人の昔持ってた気持ちっていうのがなくなってくんだな、実は。
直:日本人の持ってたその…気持ちってのは、どういう気持ちですか?
宮:例えばその、基本的にはさっきも言ってたように、掃除、をしたりとかさ。
他人を思いやるとかさ、困ってるひとがいれば停まってなんかしてやるとかさ。
今は困ってる人がいて、車で通ろうとすると女房が「やめなさい、何されるかわかんないわよ」って。
それほど、社会に対して不安感を持っている…。
直:みんながみんなそういう…?
宮:みんながそうじゃないよ。俺はそういう人いたら、宮沢賢治と同じだから、助けたりとかする。
直:笑。でも、今のipadとか使ってる人でも、これはなんかおかしいな、って思ってる人って絶対いると思う。
玄:だから、その中で選択はしてるかな、と思うんですよ。まあ自分は別にどっち、っていうわけでもないんですけど。
住:やっぱバランスをとるには、お肉食べたら野菜も同じだけ食べる、みたいに、
ipadを使ったぶんだけお習字の練習するとかね。
直:ああ、そういうバランスの取り方。じゃあご住職の場合はどうですか?
住:私はipadも使いますし。そもそも高校で教員をやってたから一番最初にコンピューターが学校に導入されたときにも一番最初に抜擢されて、
自分も持ってましたし。教員が足りなくなったから英語もやれ、とか言われて それからやらされたり。
まあやらされれば嫌々でも、まあそれは嫌でやる部分だったんですけど、やって。
だけど、両方の良さがあるよね。例えばの話、メールならメールの速さと、どこへでも届くっていうことと、
それに弊害もあるけど、手紙ってね。やっぱり文字って、まず、日本語の文字。
漢字だけじゃね、中国の新聞見てもなんにも伝わって来ないし、あれはただ記号化しちゃってるんですよね。
だけど日本語ってのは漢字と平仮名と片仮名とが混じってて、急いでいる時は漢字を追ってけばすぐわかるし、
じっくり読めばわかるし。まず日本語ってのはそうだし。
例えば日本の美しい日本語の表現っていうのは「私」を表現するだけだって、英語では”I(アイ)"だけですよ
ね。(日本語では)「うち」とか「われ」とかいろいろ何百もあるかと思う。それをしかも自分の手書きで、
しかも墨の濃淡とかそういったことを…で、それを見ると人柄や愛情が、さっき言ったような、
粒子っちゅうよりもなんていうかな、そういう雰囲気がトータルで伝わって来る。
立体的になってくるっていう文化をもっている。っていうことをもっと、
学校ではもちろん、親がね。思い出すっていうかね。それがね、新たな現代性じゃないかな。
ただ、コンピューターの社会に行くっていうよりも。そのきっかけとして、
(震災で)停電になったらどうしたか。あのときのロウソクの灯りの暖かさ。
それでみんなで寄り添って毛布にくるまったときの家族の会話とか。
ま、今電気がなければ一時もいられないんだけど、電気がなくてもやってけるような覚悟、みたいなものを。
発電機買うんじゃなくて、薪でメシが炊けるようにしとこうよ、みたいな、そういう部分。
だから自然の中に入っても一人でも生きて行ける覚悟を持って生きるっていうことが、
やっぱり原発いらないよ、って言うための前提かなっていう感じはする。
だからそのへんでやっぱり、島なんかでも1000年の伝統みたいなもの。
あるいはさっき言ったような伊勢神宮は20年ごとにかえるっていう伝統を守っていくシステムって
日本にあったわけじゃないですか。だからそれを、ますます守ってくっていうか、もっとわかろうってするためには、
なんかあるよね。だから現代的にはコンピューターとか欧米の文化っていうのとは、鎖国して、ということじゃなくて、
受け入れつつも…。なんか答えになってないかなあ?わかんないけど、私はそういうふうに…。
まあ、レディーガガも好きだけど、和太鼓の良さはある。
それから、私は広沢虎造(浪曲)とレディーガガ一緒に聴きますから。
(一同笑)
宮:こないだの山梨日日新聞(山梨のローカル新聞)に、今の日本はもう完全に鎖国?だって書いてあったね、
住:うん、ガラパゴス化してるって書いてあったね?
宮:日本の生活そのものが…。今、実際には世界中でほとんどの人が飢えてて、
戦争ばんばんやってんのに日本だけだよボケーッとしてんの。
そんでいろんなもん食ったり好きなことやってるという、考えられない。
だから僕はこんなたるんでる頭の中で…実は、芸術が生まれるとは思ってないんだよね。
やっぱりああいうのは、ほんとは命懸けて作るもんだよね。作品ってね。
じゃああんた、今なにか、命懸けてる?命懸けで何かやってる?
直:そう、それで、宮本さん、「祝の島」のなかで、
ア:のりちゃん。
直:のりちゃんが、「お前ら命懸けて何かやったことあるか」って言うんですよ。
宮:あっ、そうなの?
直:すごいですよ。
ア:中国電力の人たちにね、戦場の抗議行動の中で、50歳の女性が、叫ぶんですよ。
「命を懸けてしたことがなにかあるか!!」って。
宮:そうね、やっぱり命を懸けて何かをやるっていうのはどんなことやっててもそれは本物には言えるもん ね。
ア:のりちゃんが、そういうふうに中国電力の人たちに言うんですよ。
その映像を何度も見返しながら、島の人たちの暮らしを見ながら思ったのは、
島の人たちは常に命懸けなんですよね、ほんとうに。
原発をとめるっていうことに命懸けてるのもあるけれども、
でも、毎日海に漕ぎ出す、山に行くっていうことは、いつ自然に命とられるかわからないわけですよね。
日常的に命懸けで仕事してるっていう…
つきつめてくとそうなんだ、と思うんです。
原発を賛成するか反対するかっていう議論のときに、
震災の前は特にですけれども、もう、電気は使ってると。
いろんなことで電気がなければ今の生活は成り立たないって。
自分は使ってるから原発は良くないと思うけれども反対はできない。その恩恵にあずかってるから…
っていう意見がとっても多かったんですよね。
でも私は、自分がいっさい電気を使わない暮らしをしなければ原発に反対しちゃいけない、というのは
違うと思っている。この時代技術革新が日夜されていって、電化していますよね。
そういったものをいっさい排除して自分の暮らし、自給自足的な暮らしをしてますっていう方もとっても尊敬するし、
そういう暮らしに憧れもあるんだけれども、
でもそれだけじゃなくって自分の暮らしの中で何がいいか、必要かをひとつひとつ選択していく、自分で考えるってことが、
すごく重要なんじゃないかなって思うんですね。
私、OLをしてたときがあって、そのときに60過ぎの嘱託の車内の郵便配達をしてくれてるおばちゃんと仲が良くて
話をしてたときに「あやちゃん、昔の会社はね、朝が来たら最初に何をするか知ってるか?」って言われて、
「なんですか?」って言ったら、「こよりを作ることから始めるんだ」って。
ホチキスがなかったからこよりをまず朝作って、それでいろんなものを束ねるように使えるようにしてた、って。
で、こよりを作る時間がなくなってホチキスでパシッてやるので時間が短縮されたんだけど、
じゃあその短縮されたあとの時間使って何してきたんだろう、何してるんだろうって、すごい思ったんですね。
それでさらにもっと利益をあげて、ってなってきてるけれど、
でも本当にそれで幸せになってるんだろうか、豊かになってるんだろうかってそのときに思いましたね。
今の、この現代の暮らしっていうのは、電気があって、コンビニがあって、パソコンがあって、
メールが使えて、携帯があって、っていう暮らしになってしまっているけれど、
でも、人が、生きるのに何が必要か?っていうことから離れたくないなと思って。
全て何もなくなったときに、人は何を食べて何をすれば生きていけるのかっていう、
生物(せいぶつ)としてこの地球でどうやって生きていけるのかっていうことを、知ってるかどうかっていうことが
とても重要なんじゃないかなっていうふうに思います。
で、映像で言えば、カメラの性能もとっても良くなって、個人で簡単に撮れるようになったし、
自宅用のパソコンで編集もできるようになって、
だからこそ、いろんなところからいろんな立場からものを言えるというか、いろんな作品が生まれてきているけれども、
なんかその…。簡単になった、やりやすくなったっていうことと、
何かを伝えたいっていうことの本質とは 全然別のところにあると思うんですね。
直:簡単になったからこそ…じゃあ、なんでもできるけど、
逆に、問うたときに、
あれっ?自分、何伝えたかったのかな、っていうことですか?
ア:そう、そこに宿っているものの質っていうのは、どうやって作ったかっていうのももちろん影響はするけれども、
でも、いちばんおおもとに宿るものっていうのは、何ていうんだろうな…
技術だけでは創れない、創り出せないものっていうのが確実に、
あるんじゃないかな…。
摩:技術が向上しても100億円あっても創れないものってありますからね。
ア:そう、うん。そう思うんですね。そのことを知った上でその技術とかその性能があるものを使うか、 っていうか。
だから、”使い手”なんだと思うんですよね。”使われちゃわない”っていうこと。
摩:自分が何を中心にして、何を選択するかっていうことですね…
ア:うんうん。
玄:手段増えすぎてるからこそ、自分の選択する力みたいなのがよけい試されるかなあ、というふうに思います。
ア:ほんとにそうですね。
玄:そうでないとほんとに使われていく状態になってしまう。
宮:ネット社会になればなるほど、選択をますますしなくなって”選ぶ”だけになってきたでしょ。
玄:そうとも言えますね。
宮:見て、情報を全部もらって。昔だったら、本を見て、調べて、とかって、 自分で相当勉強しないといけなかったのが、
今はちょっちょっちょっと平気で、どこからでも持ってこれるから、これは無理ですよ、(勉強を)しませんよ。
それで、最終的には、そのへんの店へ行って一番安いやつ買ったりとか。
店員のすすめたやつ買ったりするよね。何の為に使うのか?が、ないんだから。みんな持ってるからって持ちたいだけでしょ。
みんなが持つのやめたらいい。一番いいんだよ。
ア:ほんとにたくさん情報が氾濫して、いつでもパソコンや携帯にアクセスすればいくらでも情報がとれる。
質量の軽い情報が、いっぱい氾濫してるんだけど、
ほんとうにその人にとって重要な情報っていうのを、どう自分で得たらいいのかっていうことが、
どんどん見えなくなっていくというか、できなくなってきているような気がしますよね。
宮:永六輔さんという人がいるんですよ。あの人が来て、いろいろ話したり、まあ、インタビュー含めてそうですけど、
あの人、いっさいメモとらないの。
それで、TV局やラジオ局帰って放送したりするんだけど。
一回聞いたことがあるのね、なぜメモとらないかっていうと、書くと、覚えたつもりになっちゃう。
人間ってそうなんだ、書くと。それで、必ず聴いたことを家やホテル帰って、そこで、思い出してきたことを
話す。だから余計な情報を、ワケのわかんない情報含めて、いちばんインパクトのあった言葉とか、
それは当然、脳に、頭の中に入ってて、それをメモするんだって言ってました。
だから、情報はありすぎたら、実はないのと同じなんだよね。1こしか情報なかったら、それ、覚えるもんね。
住:”必要なもの”はね、覚えますからね。忘れちゃうものはいらないんだあ。
宮:そう、いらないの。
住:あ~、じゃあ俺もそうしよ!(一同笑)
でも、ほんと、パソコンっていうもの、最近は全然使わないんですよ、メールもやらないし。
それで、なきゃないでいられるの。最初のころはたぶん富士吉田で一番早いくらいにやってたんですけど、
もう、全然、飽きちゃったっていうかね。あのー、色々なとこ見ても、どこ見たってもう、
まあ、新しいものはあるかもわかんないけど、同じようなことしか…
まあ、歳をとったっていうのもあるかもわかんないし…。ただ、なくてもすむもんだなあ~って。
電気がなくたってみんな一番困るのはこれだ!とかって思ったり。
で、電気がなくなったときにうちの子供と遊びで糸電話作って。楽しかったな、と…笑。
じゃあ手紙もう一回やろうよ、時間かけてもいいから、また時間がゆっくり進む…
まあ、あのときゆっくりやろうって思っていたわけではないんだろうけども。?
今日、Amazonに頼めば明日には来ることが当たり前になっちゃっていると、それにもう縛られてるわけですよね。
だから一生懸命こう、昔、500円札握りしめて、下吉田へプラモデルを買いに、歩いていったような子供の頃の時代のような。
足を使って、苦労して手に入れた100円ぐらいのプラモデルみたいなものが、すごい宝物だったような。
あるいは、野山へ行って竹削って自分で作った水鉄砲みたいなものが…
今のゲームなんかよりずっと楽しかった時代っていうことを、思い出させる、子供には教えてやりたいんですよね。
宮:両方あればいいんだよね、片方にいっちゃうから問題がある。
直:偏るっていうのはやばいですよね。
宮:右行ったら右へ。って、みんな同じことをやる…。
住:だから、ほんとに親が忙しいからね、ビデオをあてがっとくとか、DSあてがっとくとかね
今、子供たちはこれがないと会話ができない。会話してないっていうか。あの光景は恐ろしいっていうか…。
ア:私、本とかでも、ミリオンセラーって銘打ってると疑うんですよ。
直:疑うよね、あれは。
ア:そんなに売れる本って、絶対なんかウラにあると思っちゃうな。
万単位で売れるものとかってね、その内容以外に付随した要因がたくさんあって、その影響がかなりありますよね。
直:最後に4人に”いいもの”を。自分が”いいもの”って思うものを話していただきたいな、と。
宮本さんはコンビニ(笑)? 
宮:”いいもの”?
直:いいもの。自分がいいなって思う物とか事とか。
それってけっこう直結してる気がするんですよね、人の、人間の基準、根幹。
むずかしいですか?この振り方?
宮:”うちの女房”って言ったらなんだなあ(一同笑)”いいもの”じゃないけど、個人的に好きな話。
自分の子供の話。子供が今34なんだけど、小学生の高学年ぐらいのころに、ちらっと言ったことがあって、それが今でも頭に入ってる。
それは、「ここにね、道があって、難しい道と簡単な道があったら、お父さんなら絶対こっちいくよね、この難しい道行くよね。」って
ちらっと言ったことあってね。
これ、すごくいい。
直:それは、見てる…、知ってるってことですかね?
宮:昔ほら、親の背中を見て子は育つって。
実は背中だけじゃなくて全部みせるから、当たり前なんだよね。
全部を見て子供が、俺の考え方をわかってくれたのかなって、嬉しかった。
直:いいですね。あったまりましたね。
宮:そんな話になると思わなかった?(笑)
直:いえ、ありがとうございました。いいなあ、そういうもんなのか…。
ア:いいなと思うものは、なんだろうか…。
でも、いいなって思うのは、やっぱり、そこに心がこもってるなって思うものですかね。
それは…姿でもいいんです。
その人の、生き方とかでもいいんだけれども、、なんかそこに、心っていうものが感じられる。
直:みえたときってあります?あ、これが心だ、っていう…
ア:いや、もうそれは・・・
直:感じる?
ア:常日頃ありますよね。本とか、作られたものでもそうだし、ちょっとした一言でもそうだし、
なんかそこに、想いや心がこもっていると、それは自分の心に届くっていうのか。
だから自分の心が動くというのは、向こう側のそういったものと共振するっていうか。
直:心。。。。
ア:はい。心という言葉以外にいい言葉があればいいんですけど見当たらない…。
直:響いた言葉とかあります?
ア:響いた言葉…最近で言えば、祝島に久しぶりに行ったんですけど、
82歳のいとうのおばちゃんって、映画で撮らせてもらったすっごい素敵なおばちゃんがいらっしゃるんですけど。
そのおばちゃんが、「あやちゃん、嫁に行かなくてもいい、やりたいことをやればいい」って言われたことが。心が動きました(笑)
宮:それは間違ってる
(一同笑)
直:嫁に行け、と。
ア:無理して行かなくてもいいんだよ、と、やりたいことをやりなさいあなたは、と。
宮:無理してもね、あ、その話になると長くなる(一同笑)無理してもね、なんとかなるんだ。
ただね、離婚するのは反対だからね。離婚は許せないけど無理してもなんとかなるんだ人間ってのは。
最後は、落ち着くところへ落ち着くんですよ。
ア:でも相手のあることだからね、結婚は。
摩:引き続き間違ってる感じの私が(一同笑)宮本さんが言うには間違っている(笑)、
嫁に行かずにやりたいことしかしていない私ですけど。
いいなって思うの、昨日、思っちゃってねー。ここで、パフォーマンスがあって、ご飯食べてたときに、
絶対、ここで、ほんとうに一期一会っていうか。
ほんとうにこの場でなければ絶対会うことのなかった人たちにお会いして。ご飯食べて。
それでいろいろ、話を聞くことができて。
いろんな、全体のこととか、個人的にいろいろ話しを聞かせていただいたりして。そういう全部の流れを通じて…。
食事中に、「あー!生きててよかったなー!」って、すっごい普通に言ってて。
こんなにナチュラルに「生きてて良かった」って言ったのは初めてだあ私。とかって思って。
これはだからもう、100億円より「生きてて良かったな!」ってナチュラルに言えることを選ぶね私。って、
思いました、昨日。うん、今朝かな。
宮:それはでも100億円のほうが大切だよなあ。
摩:いやいや(笑)えっとね、うーん。1000万ぐらいでいいかな(笑)(一同笑)
「足ルヲ知ル」で自分に必要なだけ。う~~ん、年収が、じゃなくて。そんな感じです。
住:今4人目だからずっと考えてましたけどね、なんかいいもの挙げてくって、いっぱいありますけど、
『My Favorite things』っていう曲ね。
雨の音、とか。子猫ちゃんとか。思い出しながら、雨の音、いいなあとか。
まあ、好きな物、夕べ聴いた『アデル』のSomeone Like You、私最近万葉集なんか好きなんですけどね。
それから、いやあ~、今、やっぱり一番いいのは、ここから見るこの二人の女性の横顔、特に笑顔!
(一同笑)
以上(笑)!
直:ありがとうございます。はい、じゃあ第一部をこれで終わらせていただきます。
会場:拍手
遊談 .....................................................................................................................................................................................................................
(※1)砂時計についてー
「4分33秒」という沈黙の楽曲 In this timeという
リビングワールド”ある時間”をしめす砂時計のシリーズのものを使用させて頂きました。
「4分33秒」はジョン・ケージの楽曲。彼は20世紀を代表する音楽家であり、芸術家のひとり。
John Cage (Wikipedia)
1952年のある日、ウッドストックで新曲を発表するコンサートを開きました。
演奏はピアニストのデヴィッド・チュードア。ケージの新しい曲を楽しみに待つ聴衆で、満席のホール。
客電が落ちて、舞台にピアニストが登場。
奏者はピアノの前に座ると、開いていた蓋を閉じ(コンサートのピアノはあらかじめ蓋が開かれている)、
そして4分33秒後に蓋をもとに戻して、舞台を去りました。演奏のない、沈黙の楽曲。
それがケージの新曲だったのです。
このコンサートは大変な衝撃を呼び、以後「4分33秒」はさまざまなアーティストにカバーされています。
(冗談のような話ですがJASRACは著作料の徴収対象にしている)
いまも大きな余韻を残すこの楽曲の、いったい何が衝撃的だったのか。
演奏せずに蓋を閉じたまま動かないピアニストを前に、この日ホールに集まった人々の耳は、どんどん大きくなっていったはずです。
静まりかえった客席で誰かが咳き込む小さな音、会場の外からかすかに聞こえる鳥のさえずり、
ホワイエで運ばれる食器の音、遠いクラクション、次第にザワザワとしてくるホールの中の音。
ケージは楽曲をつくるのではなく、人々の「聴く」という体験(listening)をつくった。
ドラックを使わずに、人々の知覚を拡張した。今すでにここにある世界に向けて、開かれた窓をつくることに、彼は成功した。
「聴くことが音楽である」というコトの本質を、最も極端な形で示したのが「4分33秒」であり、
それはいまなお21世紀の音楽家を、そして音楽家ではない私たちをも揺さぶっていると思うのです。
....................................................................................................................................................................................................................
(※本文中にアメリカや中国と表記がありますがすべてのアメリカ人や中国のものを批判しているものではありません。)



実はこの遊談当日、山梨県を記録的な大型台風が通過していました。

でも会場はみんなの語りと心の通い合いで、ほんとうに楽しく、明るく、
ユーモアと笑いに満ちていました。
遊談のあとは、皆で美味しい食事とお酒を楽しみました。

わたしたちの心も嵐に見舞われることが、ときにはあるかもしれません。
でも、
自分の道をしっかりと歩み、行動することは
どんなときにもわたしたちを内側から支えてくれる強さになり、
人と人との繋がりや共感する気持ちを大切にすることは
心の穏やかさや暖かさ、明るさになってくれるのでしょう。

皆様と素晴らしいひとときをご一緒させていただきましたことに感謝しています。

ホトリニテ当主高村直喜くん。ありがとうございました。

大倉摩矢子



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